数理ファイナンスの基礎-マリアバン解析と漸近展開の応用-

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  • まえがき

    ここ10年ほど日本のファイナンス分野、あるいは 金融実務界においても様々な目新しい話題が関心を集めるようになっている。 新聞やテレビで日々報道される株式市場や外国為替市場における激しい価格変動、 内外の金利変動の動きと国債市場の変動、先物市場やオプション契約の取引と 云った派生証券(デリバティブ)取引の活発化、 企業の格付けをはじめとする倒産リスク等の金融リスクの顕在化など 内外の現代経済における金融・保険業や金融政策に関わるホットな話題も多い。 そして、こうした金融に関わる最近の話題の多くの背後に、 実は新しい数理的な理論や統計学的議論が基礎となって いることに気がついている関係者も少なくないであろう。 これらの話題に象徴される現代の金融現象に関わる問題を数理的な立場から どのように整合的に理解したらよいか、その手がかりを提供することが 本書の課題である。

    「数理ファイナンス」という研究分野を広く解釈すれば、 経済・経営における金融分野における数理的問題の理解と 解決法を考察する分野と云うことになろう。 例えば経済学や経営学では伝統的に金融現象を扱う研究分野 は金融論や経営財務論、あるいはファイナンスなどと呼ばれてきている が、こうした分野の研究も近年ではかなり理論的、数理的になっているので、 あえて新しい名をつける必要がないという見方もあり得よう。 しかしながら、近年におけるファイナンス分野における数理的な議論の多くは、 伝統的に経済学や経営学で用いられてきた数理的水準を 遥かに超えることが多い。 さらに、数理ファイナンスの研究では必ずしも伝統的な経済学の 議論では収まらない確率論的展開や数理統計学的な議論が多用される ようになってきている。 ここで数理ファイナンスと呼んでいる研究分野は金融工学などと 呼ばれている内容と重なることもあるが、工学の一分野と見るのは 無理があるので「数理ファイナンス」と呼ぶことにする。 こうした新しい研究分野が登場してきている。

    本書では「数理ファイナンス」分野における基礎理論と考えられる ものをなるべく正確に説明するとともに、数理的研究や金融実務へ応用可能性を たえず意識しながら、近年著者達が行ってきている研究の一端をも まとめている。 ただし、本書を単なる研究や実務の為のモノグラフとしてではなく、 大学上級ないし大学院初級の院生をも対象とした書物にする為に幾つかの章を あらたに付け加え、テキストとして利用できるように内容のバランスを 配慮した。

    本書は4部13章から構成されている。 各部のはじめに構成する章の概略を説明しておいたが、 第I部はかなり直観的議論を交えて、 なぜ「数理ファイナンス」と呼ばれる分野が必要なのかを 二つの章を使って説明している。 第II部では「数理ファイナンス」の分野においてかなり標準的 理論として既に共通の理解になっている内容を三つの章を 使って説明したが、 これは日本語ではあまり利用可能ではない数理ファイナンスの標準理論 について、出来るだけ正確な数理的説明を試みた内容になっている。 第III部では数理ファイナンス分野の展開においては 比較的新しい独自の理論と思われる、この間著者達が提唱している 「漸近展開法」の基本部分についての解説である。 近年の派生証券(デリバティブ)理論において重要なブラック・ショールズ 経済や金利の期間構造において典型的に現れる実際の問題を用いて 著者達が提唱している方法を説明している。 なお、数理的には著者達が提唱している 「漸近展開法における小分散理論」は 確率解析学におけるMalliavin解析における渡辺・吉田理論と呼んでいる 最新の理論に裏付けられる。 この問題については9章で必要最小限の範囲で説明した。 主に応用上の問題に興味がある経済系・経営系の学生や院生は 9章及び各章におけるやや細かな数学的議論をまとめた数学補論 を省略したとしても、本書の主な内容の理解には差し支えないように 本書を構成しておいた。 最後の第IV部では著者達が提唱している「漸近展開法」が 第3部で説明した応用に留まることなく、ファイナンス分野で生じる 数理的問題においてかなり広範囲に応用が可能であることを 例示する。そこで取りあげる個々の問題はそれぞれファイナンス分野 ではかなり重要な問題とされていることに注目してほしい。 なお紙数等の制約もあるので、最後に 本書で十分に詳しく取りあげることの出来なかった応用上で有望な幾つかの話題 について13章で言及しておいた。

    本書を上梓することになったきっかけは約10年ほど前まで遡ることができる。 当時、日本のある代表的銀行において外国為替市場の取引実務を行っていた 高橋が国友の研究室で本書で例として何回か登場する「平均オプション契約」 について説明を行い、二人でその確率論・統計学的内容を検討したことが その後の共同作業の始まりであった。 外国為替市場で実際に取引されている金融的契約の価値評価が 予想外に難しかったことが、新しい発想を 必要とした。その後、全く偶然ではあるが確率過程の統計学や 確率論・確率解析学における最新の数学理論との接点に気がついたので、 手探りながらもその知見を幾つかの英語論文をまとめてみたが、 振り返って見ると約10年程の歳月が既に経過してしまった。 あれこれと試行錯誤を繰り返しながらもしばらく時間が経過してみると、 当初は難しく見えた多くの議論はかなり直観的に理解できることに気がつき、 多くの学生・院生諸君や金融実務家、さらにはファイナンス分野に 関係する研究者の為に まとめることにもなにがしかの社会的価値があろう、 と考えたことが本書の成立の直接の動機である。

    この間、文科と理科の間の垣根が依然として高く存在し続けている 我が国における常識からは研究・教育上の分野として 統計学・計量経済学・ファイナンスなどに分類されるであろう 著者達による、最近の確率解析学や確率過程の統計学の展開についての 素朴な疑問や質問に対して辛抱強く、 かつ丁寧に答えてくれた東京大学大学院数理科学研究科 の吉田朋広助教授と楠岡成雄教授に特に感謝する。 また本書第IV部の中の一部分は同吉田朋広助教授と院生の斉藤大河君との 共同研究に基づいていることを特に付記しておく。 最後に、本書の出版のきっかけを作り、その実現にご尽力いただいた 東洋経済新報社の村瀬裕己氏にもこの場をかりて感謝したい。